結婚生活は二年以内
21歳から付き合って25歳で結婚
26歳の誕生日を祝ってもらって27歳の誕生日の3ヶ月前に離婚を言い渡され27歳で母の誕生日の日に離婚届を提出
人生色々と言うが結婚をして離婚をしただけでまだ私の人生にな色がついていない
モラハラが原因だと言われた
私のモラハラが原因だと言われた
私も離婚しようと言ったことがある
浮気をして嘘ばかりつくことが原因だ
初めて浮気をされてからそのことがつっかかって責めてしまっていた
それがモラハラに繋がっていた
私は台風が怖い
地震も怖いし火事も怖い
いろんな中で台風が一番に怖い
「浮気相手にユニバの年パスを買ってもらう。今日はユニバに行ってくる」と台風の日に元夫が言った
私は「台風がこの世で一番怖いから早く帰ってきて、今日はお願い、行ってもいいけど早く帰ってきて」とお願いした
「ごめん、今日泊まる」、連絡がきた
いろんなところで気持ちが潰れて感情がおかしくなって
そして離婚
離婚が決まってすぐ
「男3人くらい作ったらいいやん」と言われた
そんなすぐにできるかよクソが
と思ったけど、できた
一目惚れ、そういったら可愛いけどただ本当にかっこいい、どうしてやろうか、触りたい、と思った
顔が好き!なんてなったことがない
芸能人でも顔が好きなんてなったことがない
でもかっこよすぎてデロンデロンになってしまった
間も無く付き合った
そして私は離婚をした
離婚は人生経験だと思っている
離婚は決断力と判断力の結果だと思っている
ずっと我慢して無理に一緒にいる必要なんてない
どちらかがダメだと思ったらもう終わり
ソッと、サッと、終わるしかない
私の離婚は簡単に終わった
夫「離婚したいと思ってる」
私「わかった」
本当にこれで終わった
離婚するまでの間まだ一緒に住んでいる時、元夫が「(私)ちゃんのことこんなに好きやのに」と泣いていることがあった
結婚も離婚も好きだけじゃどうにもならないことなんだと勉強した
そうやって簡単に終わった結婚生活
夫婦仲が上手いっていない友達に「離婚めっちゃ簡単やで!」と離婚を勧めたら決意してくれたのだが揉めに揉めていて「ごめんよ」と
「俺ら円満離婚やな」と一緒にご飯を食べながら言っていたけど仲は悪くなかったし嫌いでもなかったけど円満離婚ってナニ?って思った
お前が言うな
子ども嫌いキャラ
子どもが大好きで保育士になりたかった。でも私はピアノを弾くどころか音符も読めない。父は私が子どもが大好きなことを知ってピアノを習いにいくことを強くすすめてきた。しかし私は習いにはいかなかった。
「この年でピアノを習うなんて恥ずかしい」
なんて思っていたからで
なにかをはじめることに遅いなんてことないってことにやっと気づいたのが20歳を超えてから
そのことに気づくのはやはり遅かった気がする。
高校生で進路希望を出す時も父は保育士になることを考え学校へ進学をすすめた。私は保育士になることを選ばなかった。
理由はピアノが弾けないから
父は子どもが大好きだ。
祖母も祖父も子煩悩で他所の子どもにすぐちょっかいをかけていた。私もその血をもらいすぐに子どもがいる方へ向かっていた。
しかし今の私は人に「子どもは好きじゃない」と言う
私は天邪鬼で捻くれ者だから
子どもが好きだと言うと人殺しでも優しくみえてくるような気がする。なにか事件があると犯人のことを知る近所の人のインタビューがある
「◯◯さん、挨拶をしっかりしていたし子ども好きみたいでよく公園で小学生に混じってサッカーなんかをしていましたよ、だから事件のことをテレビで見てびっくりしました」
これでもう犯人は好印象。
嫌だ
私は子どもを使っていい人に見えるのは嫌だ
だからここ一年くらいずっと「子どもは好きじゃない」と言っている。印象は良くないだろう。
でも恵まれたことに私が寄らないでも子どもから私の方へやってくる。
私は前世でどんな徳を積んだのか、異性から好かれるよりも子どもが寄ってくる方が難易度は高いと思っているし幸福感が半端ない。
私の妹は子どもが好きなのに接し方がわからないと悩んでいる。その気持ちがわからない父は「子どもが嫌い?」と妹に聞く。
妹はそれがどうにもプレッシャーに感じるみたいで泣いていたことがある。
それを見てから私が子どもが好きで近所の子どもと遊ぶ約束したり子どものお母さんと仲良くしているのもまたプレッシャーになるのかもしれないと思って私は子どもが嫌いだと言いはじめた。
私の言動には意味がないと思っているし、私は一体なにをしているのだろうと思う時もある。
きっと答えはない。
でも子どもが好きではないと言った時の周りの反応に驚くことがあるので少しの間は子ども嫌いキャラを気が済むまで貫こうと思っている。
心が折れない程度に
独身既婚の選択
一緒に住み始めてから三ヶ月が経っていて、一緒に住んでいるのは人間だけではなくてウサギと私と彼の三人で住んでいる。
3月から働き始めようと思っていたが色々と引越し手続きが面倒だと思い始めてしまって、まだ一緒に住む前の電話で「結婚してしまおうか、扶養に入れてよ」と私から結婚に誘ってみた。
彼は「(私)ちゃんがいいならいいけど」とオッケーしてくれたので「じゃあ元号変わるしその時にしよう!そしたら記念日も結婚何年目かもよくわかる!」と提案した。
プロポーズは男性から、そんな決まりはない、私は待てなかった。
そして私は5月1日に籍を入れ、5月になったら仕事を探し始めることになった。
今は慣れない家事を一日かけて頑張っている。実際はほぼゴロゴロしてテレビを見てウサギと遊んでいる。
料理はしたことがなかった。食べることに興味がなかったから作ってまで食べたくなかったし、食べるものがないなら食べなくてもいいと思っていたからだ。
しかし誰かと一緒に住むということは誰かが料理をしなければならない。ずっと家にいてなにもすることのない私以外に誰がするのだ、ウサギは私が与えたご飯をずっと食べている。
私だ、私が作らなくてはいけないのだ。
今まで包丁を持つこと自体が嫌でキッチンに一人で立ったことがない私はネットで「簡単レシピ」「簡単ご飯」「簡単晩御飯」… ひたすら検索して半日かけて検索して作っている。
案外楽しいじゃないか〜と思い始めていて一人でのご飯の時は適当になにかを作ったりする。
いまのブームはマグカップケーキ。マグカップケーキのレシピを検索して作ってみて一番美味しいレシピを探している。
一番好きな家事は洗濯。
一番嫌なのは掃除、安いおもちゃみたいな掃除機を使っているので掃除はしたくない。しかし私は髪の毛が長いから掃除機は欠かせない。
私は、人妻になった
家を決めて来た
出会って3年、付き合おうとなって付き合ったわけではないけれど毎日電話してたまに遊ぶ人と気付けば結婚の話をしたり子供の話をしたりしていて、10月から一緒に住むことになった。
彼氏の友達が不動産屋さんで働いているからと先週家を見に行ってそこで決めてきた。
彼氏から家族や友達や会社の人の話をずっと聞いていた。
5月に初めて家族に会った。
そして今回初めて友達と会った。
私の家族には何度か会っている
彼氏は自分の家族の前でも友達の前でも私のことを大事にしてくれた。それが当たり前なのかもしれないけど私からしたらとても嬉しいことだ。
小さなことでも大きく幸せを感じられるのは幸せな人だから私は幸せな人。
私の「仕事を辞めたい」って気持ちが一緒に住むって決断を大きくした。だから嫌な同僚も悪くないと思った。
感謝している。
ありがとう仕事をしない外国人に仕事をしないおばさん
一緒に住むにあたって私は家事をしなければならない。
今まで一切してこなかったことに後悔を感じるかと思いきややる気はある。私にできないことなどない。
みんなができることが私にできないわけがない。だって仕事だってできたし24年間大きな怪我も大きな病気もしてこなかった。死なない。
しかし私には学歴も経歴も資格も長所もなにもない。
だから仕事を辞めて引っ越して新しい土地で新しい仕事をできるかとても不安だ。
でも、正社員じゃなくていいじゃないか、バイトだってお金はもらえる。できることをしたらいいんだって自分を励ましている。
ずっとなにも頑張ってこなかったからなにもない。それならこれから頑張ればいいんだ。
友達と言えるような人が一人でもできるといいし料理も食べられるものが作れたらいいし彼氏の喘息が出ない程度に部屋を綺麗にしてゴミの分別をきちんとできたらいい。
こういう風にできなければならない
こんな風にならなければならない
そういった大きな目標は立てない
だって私にはそれがストレスになるし重荷になるから
だから生まれてからずっと
人に迷惑をかけずに生きるのが私の目標。
仕事を辞めようと決心した日
台風の影響で家の前の国道が昨日の夜から大渋滞していて朝はお菓子や本、コンタクトケースを用意して渋滞の中に入り仕事へ向かった。
15分遅刻したけど無かったことにしてもらってラッキー。
帰りはいつもの二倍くらい時間をかけて家に帰った。
渋滞の中でも充実していた。
コンタクトケースにコンタクトをしまいメガネをかけてからが私の時間。お菓子を食べたり会社で補充したお茶を飲みつつ本を読んだ。
昨日友達と旅行会社で旅行の計画を立ててウキウキワクワクしているので多少の嫌なことは許せてしまうなぁとか思っていたけど、仕事をしないおばさんやズル賢くサボる外国人に腹を立ててしまった。私はとても短気だ。
会社にいる唯一パートの女性がとても仕事ができる。私はそのパートさんから仕事を教わったしその人みたいに仕事ができるようになりたいと尊敬しているし目標にしている。会社の中で一番周りを見ていて仕事ができる人だと思う。
だからパートでありながら新人を任されるのだろう。
そして仕事ができるパートさんから仕事を教わった私と仕事ができるパートさんがたくさん仕事を割り振られる。パートさんがする仕事の量ではないだろうと腹が立つ。私はとても短気だ。
そんな短気な私はこの春、とてもとてもとーっても厄介なお局様をやっつけた。
お局様とそのお姉さんの自覚のない攻撃で心がバキボキに折れて複雑骨折してしまい涙が三日ほど流れ続けるという病気にかかってしまった私は、パートさんから休みなさいと言われ休暇をとった。
パートさんはとても威厳があって器の大きな女性だ。上の人からも一目置かれている。だから私は休暇をとった。
しんどいことに気付かないのが私の欠点だ。優しい言葉をかけられて涙が出てきてやっと「わたしはしんどかったんだ」と知る。遅い、とても鈍感だ。
私が泣き続けた結果お局様は辞令が出て移動させられて新しい職場に一日だけ行き次の日に退職願を出したらしい。いい気味だ、お局様が原因で何人も会社を辞めていった。これがお局様の腕だ。
酷いことをしているのに酷いことだと気付かないのがとても悪いところだったお局様は私のことを大事にしていたというのが本当に性格が捻じ曲がっているんだなと感じさせられる。私は会社の人からとても大事にしてもらっていると実感する。みんなが大好きだ。仕事をしない人以外。
職場に残った外国人はサボり癖がついた。上手いこと仕事をしないようにしているのがよく見える。お局様のお姉さんは本当に何もしない。パートさんは休みが多い。私に負担がだいぶかかってきている。しんどい、とてもしんどい。
私は自分のことを傷付ける人を許さない。私が傷付くと父も母も妹も叔母も祖父も死んだ祖母も悲しくなる。家族が悲しいのがとても悲しい。だから家族を傷付けるようなことをする人、そう、いわゆる私を傷付ける人を私は許さない。
自分を守れるのは自分だけだから。自分が自分の味方にならなかったら誰が守ってくれるのだ、人を頼りにするのは良くない。人に負担をかけるのも良くない。
私は自分のことが一番大切だ、だから
今日は、仕事を辞めようと決心した日。